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なぜ?「子午線のまち」標識建立まで20年以上の「空白」 明石
「標準時」「子午線」の記述がある高等小学校の国定教科書(国立教育政策研究所教育図書館「近代教科書... 「標準時」「子午線」の記述がある高等小学校の国定教科書(国立教育政策研究所教育図書館「近代教科書デジタルアーカイブ」より) 「子午線のまち」と兵庫・明石が称されるいわれをひもとくと、一つのモニュメントに行き着く。「大日本中央標準時子午線通過地識標」。明石郡小学校長会の先生が1910(明治43)年、兵庫県明石市天文町に建立した国内初の子午線標識だ。東経135度子午線上の時刻を日本の標準時とする勅令の公布が1886年。なぜ20年以上の「空白」が生じたのか-。「子午線研究家」の吉野健一さん(58)=神戸市垂水区=が、算術の教科書との関わりからその理由を解き明かした。(川崎恵莉子) 吉野さんは明石市立天文科学館の親睦会「星の友の会」会員。神戸大バイオシグナル総合研究センターの准教授で、趣味で子午線に関する研究に取り組む。これまでも明石の「子午線のまち」との認識が定着した背景などを調べてきた。 今回
2021/12/13 リンク