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なぜ大空襲で姫路城は無傷だったのか 奇跡の歴史を探る
市街地が焼け野原になった姫路大空襲(1945年)で、姫路城だけはほぼ無傷だった。「米軍は城を標的... 市街地が焼け野原になった姫路大空襲(1945年)で、姫路城だけはほぼ無傷だった。「米軍は城を標的から外した」。そんな逸話が今も市民の間で語り継がれる。だが、城が残ったのは偶然だった-。あの大空襲から3日で72年。改めて歴史をひもといた。(木村信行) 45年夏の終戦前、姫路市は2回、大規模な空襲を受けた。 6月22日の攻撃目標は、播但線京口駅近くにあった川西航空機姫路製作所。日本軍の戦闘機、紫電と紫電改の製造拠点だった。56機のB29戦略爆撃機が1505発の爆弾を落とし、工場周辺の市民ら341人が犠牲になった(直後の市調査)。 市の中心部を焼き尽くしたのは7月3日の空襲だ。 第313航空団のB29106機が飛来。午後11時50分から約1時間半、9129発計767トンもの焼夷弾を投下した。死者は173人とされる(同)。 米軍の「戦術作戦任務報告書」によると、2度の空襲で全市街地の76・7%が壊
2019/10/31 リンク