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陳舜臣さん、阪神・淡路8日後に寄稿文「神戸よ」 どん底の被災地に一筋の光 2月に生誕100年
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陳舜臣さん、阪神・淡路8日後に寄稿文「神戸よ」 どん底の被災地に一筋の光 2月に生誕100年
阪神・淡路大震災から8日後の1995年1月25日、神戸新聞朝刊1面に「神戸よ」と題された寄稿が掲... 阪神・淡路大震災から8日後の1995年1月25日、神戸新聞朝刊1面に「神戸よ」と題された寄稿が掲載された。筆者は神戸生まれ、神戸育ちで今年2月に生誕100年を迎える直木賞作家陳舜臣さん(1924~2015年)。脳内出血の後遺症のため、自由が利かない手で書かれた原稿は、愛する神戸に、人間味と温かみがある復興を成し遂げてほしいという願いが満ちあふれている。(井原尚基) 陳さんは震災前年の94年8月、宝塚市で講演中に倒れ、95年1月13日に退院した。その後、神戸市灘区の自宅で被災し、京都市のホテルへ避難。原稿は神戸新聞社からの依頼に応じて「くずれた神戸のまちと罹災(りさい)した人たちへのメッセージのつもりで」(「神戸わがふるさと」より)記された。 阪神大水害(38年)、神戸大空襲(45年)も経験してきた陳さんの原稿は「我が愛する神戸のまちが、潰滅(かいめつ)に瀕するのを、私は不幸にして三たび、こ