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滝沢洋一と「マジカル・シティー」が呼んだ世界的シティ・ポップ大ブーム47年目の真実。【Vol.2】デモ・テープに刻まれていた名曲の数々 - ページ 2 / 5 - まぐまぐニュース!
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シティ・ポップの運命を変えた、新川と青山の邂逅 滝沢のバックバンド「マジカル・シティー」の歴史を語... シティ・ポップの運命を変えた、新川と青山の邂逅 滝沢のバックバンド「マジカル・シティー」の歴史を語る上で外せないのが、キーボードの新川博とドラムの青山純の出会いである。この二人が滝沢の前に現れるまでに、どのような経緯があったのだろうか。新川が、青山と初めて顔を合わせた日のことを回想する。 新川「高校生の時に付き合ってた彼女が、“うちの高校にもドラムの上手い子がいるよ”って紹介してくれたのが最初。1973年頃かな、俺は世田谷区の瀬田に住んでいて、青山は上野毛に住んでるって言うから会いに行ったわけ。普通、高校生だったら日曜日って家にいないじゃん。でも、青山は日曜なのに家にいてドラムを磨いてるんだよ(笑)。色白の少年でさ」 その後、新川はまだ高校生だった青山を、自身がキーボード奏者として手伝っていた慶應大学の「黒人文化研究会」というサークルのディスコ・バンド「ファライースト」のボーヤとして誘う。