エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
米本土爆撃した日本人 爆撃地から“敬意表したい”と招待状
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
米本土爆撃した日本人 爆撃地から“敬意表したい”と招待状
今日、12月8日は、日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開始してから70年目の日である。そして... 今日、12月8日は、日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開始してから70年目の日である。そして 1942年6月、日本はミッドウェー海戦で敗退。戦局は大きく米国側に傾きつつあった。そこで、起死回生の一撃を見舞うという意図のもとに計画されたのが米本土爆撃計画だった。同年7月、伊号25潜水艦の藤田信雄飛曹長が海軍省に呼ばれ、作戦を指示された。 同年9月9日、米西海岸沖600カイリの地点からパイロットの藤田を乗せた零式小型水偵が、オレゴンに向けて飛び立った。520個の小型焼夷弾が詰められた76キロ爆弾2個を投下、オレゴンの森を火に包んだ。歴史上初めて、米国本土が航空機によって爆撃された瞬間だった。 戦後の1962年5月、藤田の元に招待状が届く。米国はオレゴン州ブルッキングス市からのものだった。「貴方の勇気と愛国心に敬意を表したい」と書かれていた。爆撃したその地の人々から、なぜ招待されるのか