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司馬遼太郎と最強ヤクザ「殺しの柳川」の知られざる交遊
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山口組きっての武闘派・柳川組を率いて、「殺しの柳川」として恐れられた柳川次郎(1991年没)は、堅気... 山口組きっての武闘派・柳川組を率いて、「殺しの柳川」として恐れられた柳川次郎(1991年没)は、堅気になった後、一転して日韓の橋渡しに奔走した。生前、柳川と交流した人物は、スポーツ選手から韓国大統領まで多士済々だ。なかでも異色の存在は作家・司馬遼太郎だった。ジャーナリスト竹中明洋氏が綴る。 * * * 司馬の代表作に国内外を訪ね歩いた『街道をゆく』がある。このなかに韓国を取り上げたものが2巻ある。1972年に単行本が出版された『韓のくに紀行』と、1986年に出版された『耽羅紀行』(たんらきこう)だ。耽羅とは、古代から中世にかけて済州島を支配した王国のことである。司馬は1985年に2回にわたってこの島を訪ねて取材した。 だが、実際には司馬はビザの取得に難儀していた。申請したがすんなり出なかったのだ。今でこそ日本人が韓国に行くのに、ビザの取得は不要だが、日韓が相互にビザを免除するようになったの