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大阪が「在日の首都」と呼ばれた歴史的ルーツ
その多くは低賃金、長時間労働に苦しめられ、梁石日の小説『血と骨』さながらの壮絶な生き様を余儀なく... その多くは低賃金、長時間労働に苦しめられ、梁石日の小説『血と骨』さながらの壮絶な生き様を余儀なくされた。終戦後の混乱期には、猪飼野のそばの鶴橋に闇市が形成され、朝鮮人たちが次々に軒を構えるようになる。これが現在、国内外の観光客が集う鶴橋のコリアンタウンや国際市場のルーツとされる。 この鶴橋の闇市の「ドン」と呼ばれたのが、李煕健である。1930年代に慶尚北道から大阪へ渡った李は、鶴橋の闇市で自転車チューブの行商を始めて蓄財し、夜は子分を引き連れて賭博場を開き、市場の顔役へとのし上がった。そして38歳で大阪興銀(のちの関西興銀)の設立に関わる。 「終戦後も大阪にとどまった在日コリアンたちは、日本の労働市場から排除され、焼肉やパチンコなど在日しかできないニッチなビジネスへと活路を求める人が多かった。その際にネックになったのは金融機関からの融資です。在日に対する偏見や差別から金融機関は法外な担保や