エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
やはりマニラは厳しい都市だった
<「国境なき医師団」(MSF)を取材することになった いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャの現場で... <「国境なき医師団」(MSF)を取材することになった いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャの現場で、様々な声を聞き、そして、今度はフィリピン、マニラのスラムを訪ねることになった...> これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」 苦手な場所だったはずが フィリピンのマニラは昔から苦手な場所だ、とずいぶん昔、南の島を幾つも渡り歩いていた折に書いたことがある。 人々の貧困を空港を降りてすぐに目の当たりにしてしまうからだ。 それは隠れようもなく、向こうから手を伸ばして近づいてくる。 そして市内には常に警備員やSWAT(特殊火器戦術部隊)が配備され、緊張感が絶えない。 同じ貧困はインドでも見てとれたものである。だがそことは別の壮絶な富の不均衡を、俺はかつてマニラで何度も感じた。より西洋化された都市だからかも知れない。 不思議なもので、そのマニラに行くことになった。もともと