エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
コッカテンプク突拍子ないのに現実の恐さ/記者の目 - 社会 : 日刊スポーツ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
コッカテンプク突拍子ないのに現実の恐さ/記者の目 - 社会 : 日刊スポーツ
1995年(平7)5月の逮捕から23年、松本智津夫死刑囚(63)の刑が執行された。オウム真理教に... 1995年(平7)5月の逮捕から23年、松本智津夫死刑囚(63)の刑が執行された。オウム真理教による一連の事件やその後の教団動向を取材してきた日刊スポーツ南沢哲也・メディア戦略本部長(53)が、事件と「教祖・麻原彰晃」を振り返った。 ◇ ◇ コッカテンプクと聞いても、今ならばピンとこないかもしれない。でもあの時、オウムは本気で国家転覆を考えていた。 1995年は、読売新聞が元旦に「山梨県上九一色村でサリンの残留物が検出」というスクープで始まった。前年に松本サリン事件があった。サリンは自然には生成されない。両方の現場近くにはオウムの関連施設があった。 強制捜査を恐れたオウムが3月20日に地下鉄サリン事件を起こす。翌日に上九一色村(当時)に取材に入った。霊峰富士山の裾野の村にサティアン(教団関連施設)がいくつもあって巨大なコミュニティーとなっている情景は異様だった。信者らはバリケー