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平尾誠二がいた時代~初の全国制覇/伝説の伏見工4 - ラグビー : 日刊スポーツ
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平尾誠二がいた時代~初の全国制覇/伝説の伏見工4 - ラグビー : 日刊スポーツ
不良の集まりだった伏見工は、わずか数年で京都の強豪と呼ばれるまでになった。“京都一のワル”と恐れら... 不良の集まりだった伏見工は、わずか数年で京都の強豪と呼ばれるまでになった。“京都一のワル”と恐れられた山本清悟(57)が高校日本代表に選出されると、1978年(昭53)春には後に日本ラグビー界を支える存在になる平尾誠二(享年53)が入学してくる。全国大会出場を果たしたチームは、ついに日本一へ手をかける。 ◇ ◇ ◇ ■バンビの様な純粋な目 あれから、40年もの歳月が流れた。 「弥栄(やさか)の清悟」と呼ばれた山本が初めて高校日本代表に選出された77年の冬、山口はある中学生の自宅を訪ねた。 毎年、10月10日に開かれていた京都ラグビー祭。伏見工-花園高の前座試合として行われた、陶化(とうか)中(現凌風中)-修学院中の試合で衝撃を受けていた。 「あのスペースを突いたらチャンスになるやろうな」 そう思いながら見ていると、きゃしゃな体つきの陶化中のスタンドオフ(SO)は、山口の理想通りにボール