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選手からアスリートへ 有森裕子が開いたプロの扉 - スポーツ : 日刊スポーツ
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選手からアスリートへ 有森裕子が開いたプロの扉 - スポーツ : 日刊スポーツ
平成とはどんな時代だったのか。最初に「オリンピック(五輪)」に焦点を当てる。第1回のテーマは「プロ... 平成とはどんな時代だったのか。最初に「オリンピック(五輪)」に焦点を当てる。第1回のテーマは「プロ選手の登場」。五輪メダリストとして初めてプロ宣言した女子マラソンの有森裕子さん(52)の証言などをもとに、プロ選手誕生の背景から、選手を取り巻く環境の変化に迫った。 ◇ ◇ ◇ 昭和が終わるころ、陸上界にある騒動が起きた。発端は1987年(昭62)4月のボストンマラソン。優勝した瀬古利彦に副賞のベンツ(450万円相当)が贈られることになった。本人は「女房にプレゼントしたい」と喜んだが、日本陸連が待ったをかけた。当時、選手が試合で賞金や賞品をもらうのはルール違反とされた。紆余(うよ)曲折を経てベンツは所属先の練習用のバスに代えて受領された。 後に女子マラソンで92年バルセロナ銀、96年アトランタ銅と五輪2大会連続メダルを獲得する有森は、この一連の報道が強く印象に残っていたという。「なぜベンツ