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名護市庁舎を見る
強い日射をさえぎりながら、海からの風を受け入れる。 沖縄で多用されているブロックを積んだ柱、花ブロ... 強い日射をさえぎりながら、海からの風を受け入れる。 沖縄で多用されているブロックを積んだ柱、花ブロックの日除け。 この特異なファサードは、沖縄の風土と技術を研究し尽くした末に、生み出されたデザインだった。 名護市庁舎は、築後約40年たつが、なんとか立派に使われていた。 1970年、1町4村の合併を機会に、人口5万人の名護市が発足した。この時から市庁舎建設の歩みが始まった。しかし、実際に動き出したのは1976年、市民各層の代表者19名からなる「名護市庁舎建設委員会」が設置されてからだ。 委員会は議論を重ね、泡盛を飲み交わし、議論は夜遅くまで続けられた。 なかには、「永遠に市庁舎をつくらなくていいじゃないか。こうした議論の過程こそ市庁舎なのだ」といった意見まで出たという。「これが市庁舎じゃないか。ものに結びつかなくてもいいんだ」とまで言われたという。 そんな熱のこもった議論が1年以上続いた。