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「母さんが抱えて逃げなければ、僕は死んでいたかも」 あの時の乳児は20歳 米軍ヘリが墜落した沖縄国際大の3年生に | 沖縄タイムス+プラス
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「母さんが抱えて逃げなければ、僕は死んでいたかも」 あの時の乳児は20歳 米軍ヘリが墜落した沖縄国際大の3年生に | 沖縄タイムス+プラス
[黒い爪今も 沖国大ヘリ墜落20年](1) 「母さんが抱えて逃げなければ、僕は死んでいたかもしれな... [黒い爪今も 沖国大ヘリ墜落20年](1) 「母さんが抱えて逃げなければ、僕は死んでいたかもしれない」とは思う。でも、生後6カ月だったので全く記憶がない。「実感がないから、何となく『怖いな』で止まってしまうんです」。20年前と何ら変わらない空の下で、中村大地さん(20)は語った。 2004年8月13日午後2時15分過ぎ。「黒い塊」が宜野湾市の沖縄国際大学に近接する大地さんの自宅の真上をかすめた。整備不良で制御不能となった、米軍普天間飛行場所属のCH53D大型輸送ヘリだった。 自宅を通過した機体は、大学本館に激突して墜落し炎上。衝突で飛散した無数のコンクリート片が窓ガラスを突き破り、生後6カ月の大地さんが昼寝していた部屋を直撃した。