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県名の由来 - 福島県ホームページ
(1)明治9年に、当時の若松県、磐前(いわさき)県、福島県が合併して、現在とほぼ同じ姿の福島県が誕生し... (1)明治9年に、当時の若松県、磐前(いわさき)県、福島県が合併して、現在とほぼ同じ姿の福島県が誕生しました。 「福島」の名称は、そのころの県庁所在地だった福島町から取ったものですが、文禄2年(1593年)ごろ、木村吉清によって、福島城として使われたのが初めてだといわれています。 なお、詳細な由来は不明とされています。 「福島県史」「図説福島市史」より (2)福島の中心街一帯はかつて信夫の里の杉目(すぎのめ)郷と呼ばれた地域にあたり、目の前に阿武隈川をのぞんだ土地。 ここに応永20年(1413年)ころ、当時の伊達盆地の支配者である伊達持宗が杉目城(大仏城=だいぶつじょう)を築き、福島が町になる転機をつくった。 伊達氏はこのあと、独眼竜政宗の時代に、中通りと会津の全域を支配するまでに育ったものの、天正18年(1590年)天下を握った豊臣秀吉に追われ、さらに北方の土地へと移っていく。 新しく中