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森川 多聞 | 東北大学 大学院文学研究科・文学部
現代では、高度に発達した制度が行き渡り、情報が溢れています。人間が一生のうちに接することの出来る... 現代では、高度に発達した制度が行き渡り、情報が溢れています。人間が一生のうちに接することの出来る情報量は、技術革新のたびに飛躍的に増えています。 一方、人間は、限られた一生のなかで、情報を取得し活動を行っているわけですから、ある程度のところで情報をより分けて生活せざるをえません。例えば、スマートフォンのここを押せば情報交換ができるという事は知っていても、それを動かしている技術的情報を知らずに使っている、ということです。 このことは、我々の使う言葉や知識においても同様のことが言えます。例えば、日本社会の根幹と言うべき「日本国」も、一般的な社会生活の中では、「日本」や「国家」というもの自体の意義を省みることなく、自明なものとして認識されています。 知らないままに“友達追加”されていたら問題であること以上に、我々の使う言葉や知識のリテラシーは必要なはずです。なぜなら「私」を「私」ならしめているの