![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d98d9b087cea6d7021528796b9f3a5dcd0d59783/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fcommon%2Fimages%2Fogp_column-sankeisyo.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【産経抄】世界に誇る駆込寺 6月18日(1/2ページ)
鎌倉市にある東慶寺は、鎌倉幕府8代執権、北条時宗の夫人、覚山尼(かくさんに)によって開かれた。明... 鎌倉市にある東慶寺は、鎌倉幕府8代執権、北条時宗の夫人、覚山尼(かくさんに)によって開かれた。明治中期までは、尼寺だった。元住職の井上禅定(ぜんじょう)さんによると、夫の暴力などに苦しむ女性を救済する寺法は、開山時からあったという(『東慶寺と駆込女』有隣新書)。 ▼寺に駆け込んで、足かけ3年寺で奉公していると、離婚ができる。江戸時代になると、群馬県太田市にあった満徳寺とともに、幕府公認の縁切り寺となる。「出雲にて結び鎌倉にてほどき」。こんな川柳が詠まれるほどよく知られた寺だった。縁結びの神様である出雲大社と対比させて、面白がっている。 ▼井上さんによると、駆け込みの理由で圧倒的に多かったのが、「夫の不法」だった。「悪口雑言をたれるとか、大酒くらうとか、殴る蹴るとか、吉原通いにうつつをぬかすとか」である。もっとも、「他に男がデキちゃった」といった図々(ずうずう)しい例もあったらしいが。 ▼東
2015/06/18 リンク