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【安保改定の真実(5)】ソ連の「中立化」工作が奏功 朝日新聞幹部は「闇の司祭」と兄弟分だった…(2/2ページ)
記事通り、藤山は昭和33年9月11日、ワシントンでダレスと会談し、安保条約改定の交渉入りを合意し... 記事通り、藤山は昭和33年9月11日、ワシントンでダレスと会談し、安保条約改定の交渉入りを合意した。各紙が安保条約改定について大きく報じ始めたのは、この前後からだった。 × × × 1950年代後半から80年代にわたり、ソ連の対日工作の責任者は、ソ連共産党中央委員会国際部副部長などを務めたイワン・コワレンコだった。 「闇の司祭」の異名を持つコワレンコはソ連崩壊後、ジャーナリストの加藤昭の取材に応じ、加藤の監修で回顧録を残した。 コワレンコは、「灰色の枢機卿」と呼ばれたソ連共産党イデオロギー担当書記のミハイル・スースロフの意向を受け、「日本の中立化」を目指す民主統一戦線を作るべく政界や労働界を奔走したことを回顧録に赤裸々に綴った。安保闘争についても「日本の民主勢力にかなり大きな援助を与えた」と明かしている。 ソ連と日本共産党はギクシャクした関係が続いたため、コワレンコが選んだ新たなパートナー
2015/09/20 リンク