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【尖閣研究】「中国船、昔は来なかった」 この海で生きてきた漁師30人の証言 「伝統的漁場」という中国の主張は事実無根だ(1/2ページ)
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【尖閣研究】「中国船、昔は来なかった」 この海で生きてきた漁師30人の証言 「伝統的漁場」という中国の主張は事実無根だ(1/2ページ)
戦前戦後の尖閣諸島(沖縄県石垣市)海域の漁業を調査してきた沖縄県の民間研究グループによる報告書「... 戦前戦後の尖閣諸島(沖縄県石垣市)海域の漁業を調査してきた沖縄県の民間研究グループによる報告書「尖閣研究」(尖閣諸島文献資料編纂会)がこのほど第3巻を発刊し全巻を完結させた。第3巻は「海人(ウミンチュー)」と呼ばれ、尖閣の海で生きてきた漁師30人の人生の「語り」を収録したほか、これまで不明だった尖閣のサンゴ漁や周辺海域の電灯潜りの実態なども調査した。約7年にわたった全巻刊行を通じ、尖閣の漁業の全貌が文献、フィールドワークの両面からの調査報告として結実した。 魚の宝庫~尖閣の海那覇市の海人、我那覇生太郎さん(81)=調査当時=は祖父の代からの漁家だ。父からは戦前、「船団を組んで尖閣で漁をした」と聞き、7歳頃から浜で舟揚げを手伝って育った。父が南方で戦死。生太郎さんは陸(おか)で働いて家計を助けたが、叔父らが「海ワザさせんといかん」と漁師に。飯炊きから鍛えられ尖閣の海に。冬はアカマチ(ハマダイ