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リレーエッセイ38
第38回 - 2001.03.01/03.10更新 「来日ロシア人研究会」のこと ――『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』... 第38回 - 2001.03.01/03.10更新 「来日ロシア人研究会」のこと ――『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』刊行に寄せて―― 白倉克文氏からバトンを引き継ぎました。 氏のエッセイを読んで思ったのは、ゴールドスミスの『ウェイクフィールドの牧師』が『家庭教育 園之咲分』と題して泰東居士(植木貞次郎)によって訳出、刊行されたのが1889年、即ちツルゲーネフ作、二葉亭四迷訳「あひゞき」の発表の翌年という早い時期であること、そして白倉氏が荻村段山訳と対比されたジュコフスキーの翻訳を、二葉亭が理想としていたことです。二葉亭はあの有名な談話筆記「余が翻訳の標準」のなかで、ジュコフスキーが「多くは原文を全く崩して、自分勝手の詩形とし、唯だ意味だけを譯してゐる」にもかかわらず、「原詩よりも譯の方が、趣味も詩想もよく分る」、だが自分には筆力がないので、「コンマ、ピリオドの一つをも濫りに棄てず、