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リーフデ号のそれから
最近日欧交渉史に関する本を大変興味深く読んだ。オランダ生まれのディルク・ヤン・バールフェルト著『... 最近日欧交渉史に関する本を大変興味深く読んだ。オランダ生まれのディルク・ヤン・バールフェルト著『オランダ人の日本発見』*という英語の本である。邦訳はまだされていない。同書は日本に来航したオランダ船リーフデ号を中心に、同船を含む5 隻の船団(マフー船団)の辿った運命を詳述したものである。徳川家康に厚遇されたウィリアム・アダムズ(日本名「三浦按針」)やヤン・ヨーステン以外の、従来あまり語られることのなかったリーフデ号の生き残り船員たちの消息も同書で知ることができる。 リーフデ号は1600 年4 月、日本の豊後(大分県臼杵湾黒島付近)に来航した。 教科書ではこれを「漂着」としているが、目的地を日本に定めてやってきたのだから「来航」である。マフー船団は1598 年6 月にオランダを出航したのち、大西洋を南下し、難所マゼラン海峡に入ったものの、猛烈な嵐によって5隻は互いに離ればなれになった。1 隻は