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日比谷線脱線あす20年 妻の名、現場に残さない 夫、慰霊碑記銘せず「いまも心の中に」:東京新聞 TOKYO Web
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日比谷線脱線あす20年 妻の名、現場に残さない 夫、慰霊碑記銘せず「いまも心の中に」:東京新聞 TOKYO Web
東京都目黒区上目黒一の東京メトロ日比谷線の線路脇に、四人の名を刻んだ銅板がある。二〇〇〇年三月八... 東京都目黒区上目黒一の東京メトロ日比谷線の線路脇に、四人の名を刻んだ銅板がある。二〇〇〇年三月八日に起きた脱線事故で命を落とした人たちの慰霊碑だ。犠牲者は五人だが、ただ一人、目黒区の会社員女性=当時(37)=は遺族の意向で記銘されなかった。事故から二十年を前に、婚姻届を出してから八カ月で最愛の妻を失った男性(61)が初めて、その理由を語った。 (奥村圭吾) 事故のあった八日朝、イベントプロデューサーをしていた男性は出勤する妻を中目黒駅へ車で送った。「今日の夕食は一緒にできるわね」と笑顔でお礼を言うと、緑色のセーターを着てスプリングコートを手に持ち、改札へ駆けて行った。 男性が家に戻って仕事の資料を整理していると、脱線事故のニュース速報が流れ、嫌な予感がして再び車で中目黒駅へ向かった。駅で救急隊員から数人が救急搬送されていると聞き、あてもなく近くの国立東京第二病院(現・独立行政法人国立病院機