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禅僧、というと深山幽谷でひたすら坐禅修行を行っているようなイメージがある。もちろんそれは正しいイ... 禅僧、というと深山幽谷でひたすら坐禅修行を行っているようなイメージがある。もちろんそれは正しいイメージではあるのだが、室町時代の禅僧の活動はそれだけではなかった。仏像に色を塗り、庭園に石を立て、寺領荘園に乗り込んで年貢を徴収したり、土倉と一緒になって金融経営をしたりする。静かな坐禅にとどまることなく、さまざまな場所でさまざまな動きをしていたのである。 このような「教学」以外の活動をしていた僧は「東班衆」と呼ばれる。東班衆は、一見すると禅とは関係のないような寺院経営のための仕事をしていたが、学問を行う「西班衆」とは対等であるとされていた。禅宗寺院においては、東班衆の仕事も西班衆の学問と同じく修行の一環だったのである。 この東班衆の活動は、室町の社会や文化に大きな影響を与えることになる。荘園や金融の経営は室町幕府の財政を支えることとなり、仏像や庭園の管理は美術の制作へ展開して水墨画の全盛期を迎