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第4話 赤い牌楼はいつできたのか?①|移動する人びと、刻まれた記憶|伊東 順子|webちくま(1/4)
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第4話 赤い牌楼はいつできたのか?①|移動する人びと、刻まれた記憶|伊東 順子|webちくま(1/4)
韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生き... 韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第4話です。今回は、釜山の「上海街」から華僑の人びとの話を語ります。 前回の「釜山のロシア人街」について、読まれた方々から感想をいただいた。 「韓国で映画の仕事をしていた90年代初頭、当時新進気鋭だった助監督さんがキノーと崔健のカセットテープを餞別にくれたのを思い出します」 同時代を過ごした人々の言葉は、記憶の解像度をぐっと高めてくれる。ただし、韓国社会の変化は激しく、風景はどんどん更新されてしまう。 「次回、釜山に行った時には、ぜひロシア人街にも行ってみたいと思います」 それはおそらく無理だと思う。今もキリル文字の看板は残っているものの、ロシア料理の店などは数軒が残るのみ、新型コロナパンデミックを経て、街の様