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後白河天皇とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
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後白河天皇とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
^ 宇多天皇女御・藤原胤子、三条天皇皇后・藤原娍子以来。 ^ 「見存の父を置きながら、其の子即位の例な... ^ 宇多天皇女御・藤原胤子、三条天皇皇后・藤原娍子以来。 ^ 「見存の父を置きながら、其の子即位の例なし」[5] ^ 佐伯智広は雅仁親王が次の天皇に選ばれた理由として、①雅仁親王を飛ばして守仁親王を即位させた場合、守仁の成人前に鳥羽法皇が崩御すると崇徳上皇が治天になる可能性が浮上して幼少の守仁では上皇に対抗することが困難になること。②守仁が将来「雅仁(後白河天皇)の子」として即位すれば雅仁を介して待賢門院(璋子)からその所生の子女に渡った皇室領を継承できるが、「鳥羽法皇(と美福門院)」の子として即位すれば、待賢門院―雅仁親王との血縁関係を否認することになるため、その所領を継承する可能性を失うこと(天皇への皇室領の回復が困難)になる。以上の2点から、守仁の地位の安定化のために父である雅仁の即位を必要としたとする[6]。 ^ ただし、河内祥輔のように平治の乱を後白河の了解の下に藤原信頼ら院近臣