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情報紙「有鄰」531号|出版物|有隣堂 - Part 2
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情報紙「有鄰」531号|出版物|有隣堂 - Part 2
北条氏規と徳川家康との熱い関係 – 2面 下山治久 三崎城主として江戸湾の海防を担う 今度、私は『戦国大... 北条氏規と徳川家康との熱い関係 – 2面 下山治久 三崎城主として江戸湾の海防を担う 今度、私は『戦国大名北条氏-合戦・外交・領国支配の実像』(3月末刊)と題する本を有隣新書で書かせていただいた。そこでは北条氏の広大な分国を形成し支配するのには、北条氏一門の武将たちがいかに努力して支配体制を構築していったかを述べたつもりである。中でも第4代小田原当主北条氏政の兄弟になる北条氏照・氏邦の活躍にはとても全てを記すには無理なほど、激烈な戦闘があった。その兄弟衆の弟である北条氏規の活躍ぶりも見逃がせない顕著なものであった。ここでは徳川家康と特に親しく交流しつづけた氏規について紹介してみよう。 氏規を取りあげることには2つの理由がある。その第1は氏規が三浦半島突端の三崎城(三浦市)の城主であり、対岸の房総半島を支配した里見氏と抗争した北条氏から江戸湾(東京湾)の海上防備を任されていたため、横浜市域の