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学校は一部の生徒にとって「自尊心破壊装置」でしかないので、そういう子は通わなくって良い。 - 山奥ピエールの「山奥ニートだけど小説書いたり俳句詠んだりアナログゲームやったりブログ更新したりで毎日が忙しすぎる」
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学校は一部の生徒にとって「自尊心破壊装置」でしかないので、そういう子は通わなくって良い。 - 山奥ピエールの「山奥ニートだけど小説書いたり俳句詠んだりアナログゲームやったりブログ更新したりで毎日が忙しすぎる」
いろいろ昔の事を思い出して鬱になっていた。 中高の思い出がクソすぎて、小学校まではまだマシだと思い... いろいろ昔の事を思い出して鬱になっていた。 中高の思い出がクソすぎて、小学校まではまだマシだと思い込んでいた。今ちゃんと思い返してみれば、中高と何ら変わらない。酷い思い出のてんこ盛りだった。 僕にとって、学校という場所は「自尊心破壊装置」でしかない。行かなきゃよかった。なぜ通ってしまったんだ。そう思ってしまう。 小学校のころ、僕は非暴力的な子であった。博愛精神に満ちていたわけじゃない。単に身体的に劣るからである。体躯が小柄で筋量もなく、貧弱な僕は喧嘩すれば必ず負ける。負ける喧嘩に得なんかない。だから誰にも暴力を振るわない子だった。 まあ、僕が振るう振るわぬに関わらず、殴られるときは殴られるわけなんだが。 主に僕は殴られる側の人種だった。小学生にとっては実に当然の成り行きであった。体躯の劣るものが体躯の勝るものに蹂躙されるのは、小学校ではリンゴが木から落ちるよりも当たり前の事象だ。 そんなと