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「天皇のよろい」発見 長岡宮跡 推古〜桓武時代 200年継承 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
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「天皇のよろい」発見 長岡宮跡 推古〜桓武時代 200年継承 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
長岡京跡内裏正殿地区か出土した鉄甲(てつよろい)の一部。写真は正倉院北倉収蔵「御甲」と同型=18... 長岡京跡内裏正殿地区か出土した鉄甲(てつよろい)の一部。写真は正倉院北倉収蔵「御甲」と同型=18日午後、京都府向日市・向日市埋蔵文化財センター(撮影・柿平博文) 京都府向日市の長岡宮(784〜794年)跡で、「東宮」の中枢部にある内裏(だいり)(天皇の住居)の遺構から、天皇が所有したとみられる鉄よろいの部品が見つかり、向日市埋蔵文化財センターが18日、発表した。 「小札(こざね)」と呼ばれる鉄よろいの短冊状の板の一部で約30点。製造時期は、推古天皇の時代(6世紀末)から桓武天皇の時代(8世紀末)までの約200年間にわたっていた。 これまで文献では、甲冑(かっちゅう)が内裏の一部に所蔵されていたとの記述が確認されているが、実際に内裏跡から出土したのは初めて。少なくとも長岡京時代から内裏の一部を「武器庫」として使っていたことが実証されるとともに、天皇が代々、皇位継承のために引き継ぐ御物(ぎょぶ