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【書評】『日本のナイチンゲール 従軍看護婦の近代史』澤村修治著 新島八重も参加する「運命」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
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【書評】『日本のナイチンゲール 従軍看護婦の近代史』澤村修治著 新島八重も参加する「運命」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
日中戦争開戦の2年後の昭和14(1939)年、ドイツ軍のポーランド侵攻による第二次世界大戦が勃発... 日中戦争開戦の2年後の昭和14(1939)年、ドイツ軍のポーランド侵攻による第二次世界大戦が勃発した年、陸軍大臣通達によって、日本赤十字社の「救護看護婦」が、男性と同様、赤紙の召集令状を受け取る「従軍看護婦」となり、携帯する手帳には「軍人勅諭」が書かれていた。日赤の社史などによると満州事変以降、戦場であえない最期を遂げた従軍看護婦は、実に1118人にのぼる。 同年、乳飲み子を残して苛酷な中国戦線に出征した諏訪とし看護婦が「ただ今お乳が張ったので妙子の写真を出してみて、とうとう筆を執りました」という夫宛ての私信をしたためる。しかも彼女は、出征からわずか2カ月後、現地の兵站(へいたん)病院で亡くなった。死因はマラリアおよび脚気(かっけ)。28歳であった。戦地からの手紙の検閲は厳しかった。この私信の最後に記されている「小石、小石」とは何か。これは「恋しい、恋しい」の意で、夫への切ない恋文であった