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小説とシナリオ:マヌエル・プイグ『天使の恥部』- Web版 現代ラテンアメリカ文学併走
2016/10/9 小説とシナリオ:マヌエル・プイグ『天使の恥部』 単行本から文庫本になる際に、単に誤植が直... 2016/10/9 小説とシナリオ:マヌエル・プイグ『天使の恥部』 単行本から文庫本になる際に、単に誤植が直されるだけでなく、本文が書き換えられることがある。そんな断りが本文の後にあると、その文庫を買って読み返そうか、と思ったりする。単行本の改訂版というものが出たときもそう。著者は何を考えて書き換えるのだろう。そういえば、メキシコの詩人ホセ・エミリオ・パチェーコが何か言っていたはずと思い、調べてみると、『ユリイカ』(1995年5月号)に「プロフィール、湖の詩人」というタイトルでパチェーコについて書いた拙文の中に、次のような彼の言葉を引用していた。「書くことは果てしない物語であり、シーシュポスの仕事である。ヴァレリーは、終了した作品はない、放棄した作品があるだけだ、と正鵠を得た言い方をしている。こうした詩のいくつかを、とりわけ二〇歳以前に書いた詩を直すとき、基本的には一部削除することからくる
2019/04/28 リンク