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ちょっとだけデカルトに触れてみた 『方法序説』 | Biiingo!! -乱雑な書斎-
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ちょっとだけデカルトに触れてみた 『方法序説』 | Biiingo!! -乱雑な書斎-
科学、中でも西洋自然科学に関する話を読んでいると、どうしてもモヤモヤ感が残ってしまう。それは神と... 科学、中でも西洋自然科学に関する話を読んでいると、どうしてもモヤモヤ感が残ってしまう。それは神と科学との関係だ。西洋(キリスト教世界)において神とは何か、キリスト教の神とアインシュタインの神とは同じなのか違うのか、スッキリしないのだ。そんなわけで、神と科学との接点の一つのような気がするデカルトに触れてみようかと。手近なところで、「我思うゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」の『方法序説/デカルト(落合太郎 訳)/岩波文庫』だ(昔買ったままほこりをかぶっていたから旧訳ね)。 身構えつつページをめくっていくと、まず、意外と読めることに驚いた。いや、読めるというのは正確でないな。苦しまずに目を通すことができる。本書が、ガチガチの学者ではなく理性あるあらゆる人に読まれるために出版されただけのことはある。新訳ならもっと読みやすいのかもしれない。 デカルトはイエズス会の学校で教育を受けている。当時