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葛飾ひゃっ景:大正6年、葛飾が東京でなかった頃。 - 東京バーベキュー ~歩くひと、佇むひと~
「うひゃ~、あたり一面、田圃ばっかりだ」 「これは大正6年の地図だよ。この頃の葛飾はまだ東京市では... 「うひゃ~、あたり一面、田圃ばっかりだ」 「これは大正6年の地図だよ。この頃の葛飾はまだ東京市ではなく、南葛飾郡の一部だった」 「う~む、金町駅・亀有駅はあるけど綾瀬駅はない、小岩駅はあるけど新小岩駅はないや...。つうか、それどころの騒ぎじゃないわ。新中川もなけりゃ荒川も存在しないじゃないか」 「荒川も新中川も人工の放水路、荒川放水路は明治44年着工、完成は昭和5年だから、掘削工事の真っ最中。中川放水路は計画自体は太平洋戦争前にあったけど、開削が本格化したのはカスリーン台風(昭和22年)の被害があってからで、完成は昭和38年だから、ずーっと後の話だよ」 「新中川はともかく、荒川まで地図にないと、すごい不自然に感じてしまうわ」 「荒川・新中川のほうが、よっぽど『不』自然であったんだけどね。人間、慣れるもんだ」 「しっかし、見るからに田圃だらけだなぁ。あるのは村ばっか。ざっと見、町と名乗って
2012/04/03 リンク