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【75年後に掘り出された遺骨 習志野収容所で殺された人々】
八日 太左エ門の富治に車で野菜と正伯から米を付けて行って貰(もら)ふにする 小石川に二斗 本郷に... 八日 太左エ門の富治に車で野菜と正伯から米を付けて行って貰(もら)ふにする 小石川に二斗 本郷に二斗 麻布に二斗 朝三時頃出発。又鮮人を貰ひに行く 九時頃に至り二人貰ってくる 都合五人 (ナギノ原山番ノ墓場の有場所)へ穴を掘り座せて首を切る事に決定。第一番邦光スパリと見事に首が切れた。第二番啓次ボクリと是は中バしか切れぬ。第三番高治首の皮が少し残った。第四番光雄、邦光の切った刀で見事コロリと行った。第五番吉之助力足らず中バしか切れぬ二太刀切。穴の中に入れて仕舞ふ 皆労(つか)れたらしく皆其此(そこ)に寝て居る 夜になるとまた各持場の警戒線に付く。 (姜徳相『関東大震災・虐殺の記憶』) 千葉県八千代市高津地区のある住民が残した日記である。1923年9月8日、村人が朝鮮人を斬殺した日のことを記している。この犠牲者たちは、ほかの事例のように自警団の検問にひっかかったのではない。軍によって習志野収
2015/04/26 リンク