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裁判官山口良忠と、差別に立ち向かった沢田美喜 - 駅前第四ビルが愛した植樹
結果的に、他の生き方を許されなかった人たちがかつていました。 夜はいつも真っ暗です。けれども我々は... 結果的に、他の生き方を許されなかった人たちがかつていました。 夜はいつも真っ暗です。けれども我々は、やがて朝が来ることをよく知っています。だからぐっすりと眠り、ゆっくりと目覚めます。 けれどももし、朝が来ることが約束されていない場所に置かれたら、我々はいかにして生きるのでしょうか。 山口良忠と沢田美喜はまさに、朝が来るかどうかわからない環境で生き、対照的な足跡を残した人たちでした。 山口良忠が亡くなったのは昭和22年のことです。 死因は栄養失調がもとで肺浸潤(はいしんじゅん)を併発し、死亡したとあります。戦後間もないことなので無理もないと考える方もいるかもしれませんが、山口は裁判官でした。当時の人たちの中では裕福な部類です。裕福な人たちは配給だけでなく、ヤミ市で食糧を調達して飢えをしのぐことができたのです。 現在でも、それなりの地位にいる人はそれなりの場所から、それなりの金品を授受してそれ
2015/10/26 リンク