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放送事件史「田中角栄」≪後編≫メディア支配構造の完成|放送制度・官僚論|MAMO's
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放送事件史「田中角栄」≪後編≫メディア支配構造の完成|放送制度・官僚論|MAMO's
≪あとからの「まえがき」≫ 田中角栄(1918~1993)。 貧しい生い立ちから立身出世した非エリートで、地... ≪あとからの「まえがき」≫ 田中角栄(1918~1993)。 貧しい生い立ちから立身出世した非エリートで、地元への利益誘導型政治のプロトタイプをつくり、土建国家の開発政治を主導して、自民党金権派閥支配を確立。 いまの若者は「田中真紀子の父親」としてしか知らないだろうが、角栄はさまざまな意味で「戦後」日本を象徴する政治家だった。 角栄がもう一つ、戦後を象徴するのが、そのマスコミ――新聞・テレビ支配だ。 田中角栄こそは、テレビとは何か、その利権とは何かを、もっとも正確に理解していた最大の政治家といえるだろう。 (「放送批評」1994年05月号) 田中角栄は、1958年から11か月あまり郵政大臣を務めた後、61年自民党政調会長、62年大蔵大臣、65年自民党幹事長、71年通産大臣と、権力の階段を駆け上っていく。 東京オリンピックや名神高速・東海道新幹線が象徴する高度成長の本格期に、蔵相として3年近