エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
北沢杏子のこんげつの一言 奄美諸島の歴史を辿る その1――薩摩侵略400年目にあたって――
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
北沢杏子のこんげつの一言 奄美諸島の歴史を辿る その1――薩摩侵略400年目にあたって――
去る8月末(09年)、私は奄美大島での講演を機に数人の方からの“聴き取り”と、奄美に関する数冊の文献を... 去る8月末(09年)、私は奄美大島での講演を機に数人の方からの“聴き取り”と、奄美に関する数冊の文献を購入し、宿泊先のホテルで読みふけった。 知らなかった!まったく知らなかった奄美諸島の歴史の経緯に、私は一瞬呆然となった。過去の日本が西欧諸国に追いつけとばかり、台湾や朝鮮を植民地とし、中国北東部に傀儡政権を設立して支配下に置こうと企てたことは知っていたが、いまから400年も前に、奄美諸島、沖縄諸島に薩摩の軍勢が押しかけ、武器を持たない島民たちの応戦に「棒から火の出る武器(鉄砲)」を向けて虐殺、“植民地にした”ということは露ほども知らなかったのだ。 1609年3月4日、津島藩(現在の鹿児島県)の樺山久高大将率いる薩摩の軍勢3000余名は、100余艘の船団を組み、薩摩半島南端の山川港を出港。同日、吐喇列島の口永良部島に上陸。7日には奄美大島を制圧して、16日、徳之島へ。激しい戦闘が繰り広げられ