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野島氏との出会いと初期作について(大多亮氏のコメント)
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Home > Database > インタビュー記事 > 野島氏との出会いと初期作(大多亮P) 野島氏との出会いと初期作に... Home > Database > インタビュー記事 > 野島氏との出会いと初期作(大多亮P) 野島氏との出会いと初期作について(大多亮元プロデューサーのコメント) 「101回目のプロポーズ/角川文庫」の巻末から抜粋 ※1992年当時の大多亮氏のコメントです。主に初期作について触れられています。 野島伸司さんと初めて会ったのは、フジテレビ近くの喫茶店でもう4年前のことになる。 題2回のフジテレビヤングシナリオ大賞に、彼は「時には母のない子のように」という作品を応募していて、この作品が大賞を受賞した時だ。 「どこでシナリオを勉強したの?」と聞くと、彼は「山田太一さんのシナリオ集をリライトしたり、判一彦さんのシナリオ教室に通っていた」という。 「じゃあ、今後どんな作品を書きたいと思ってる?」とたずねると、「とにかく、ホットで多くの人々の共感を得るようなものを書きたい。 僕は決してクールな人間じ