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赤瓦の家々消え、糸満は今 「戦前のまま残った」小道も:朝日新聞デジタル
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赤瓦の家々消え、糸満は今 「戦前のまま残った」小道も:朝日新聞デジタル
1935年に沖縄で撮影された写真群。沖縄戦を経て、街の姿は大きく変わっているが、戦火を免れ、当時... 1935年に沖縄で撮影された写真群。沖縄戦を経て、街の姿は大きく変わっているが、戦火を免れ、当時のままの姿を残している場所もある。 糸満の中心部、標高約20メートルの石灰岩の丘・山巓毛(さんてぃんもう)から街並みを写した1枚がある。赤瓦ぶきの家々が軒を連ね、発展ぶりが伝わる。豊かさの源は漁業で、当時、糸満漁師は近海漁業のほか、シンガポールやフィリピンなど海外にも進出し、もうけを故郷の家族らに送っていたという。左奥に写る濃い島影は糸満で「アナギ」と呼ぶ島だが、1960年代の埋め立てで陸続きになった。アナギの一部だった岩は今も残り、拝所になっている 同じ場所から、現在の糸満市の街並みを見ると、赤瓦の家はほとんどなくなり、海も埋め立てられていた。当時の写真の左上に写っていた小島付近ではマンション建設が進んでいた。 一方、傘をさした着物姿の女性を写した1枚。場所は糸満市糸満だとわかり、訪ねると、こ