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沖縄戦の「孤児院」、民家に50人詰め込まれた:朝日新聞デジタル
72年前の沖縄戦は、1千人以上の孤児を生んだといわれる。米軍の施政権下に切り離された沖縄は、孤児... 72年前の沖縄戦は、1千人以上の孤児を生んだといわれる。米軍の施政権下に切り離された沖縄は、孤児に関する全国調査や対策から漏れ、詳しい資料はほとんど残っていない。孤児として過ごした苦しい時代を見つめなおし、語り始めた人がいる。 7歳の少年はひとり、戦場をさまよっていた。1945年6月ごろ、沖縄本島南部。雨の中、身を隠す場所を探し、見知らぬ大人の背中を追う。道ばたの草を食べ、泥水をすすった。道ばたに転がる遺体からは、甘ったるい臭いがした。 少年は嘉陽宗伸(かよう・そうしん)さん(79)=那覇市。一緒に逃げた祖父と母は、目の前で砲弾に倒れた。「バーンと音がして、母が覆いかぶさってきた。おなかの中が出て……。祖父とふたり、即死だった」 ひとりきりになって4~5日が過ぎたころ、米兵に見つかり、トラックの荷台に乗せられた。コザ(現沖縄市)の民家には、子どもが50人ほど詰め込まれていた。「コザ孤児院」
2017/06/23 リンク