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朝日新聞デジタル:〈時の回廊〉鎌田慧「自動車絶望工場」 夢も希望も奪い去る労働 - 文化トピックス - 文化
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朝日新聞デジタル:〈時の回廊〉鎌田慧「自動車絶望工場」 夢も希望も奪い去る労働 - 文化トピックス - 文化
印刷 メール 〈時の回廊〉鎌田慧「自動車絶望工場」 夢も希望も奪い去る労働 鎌田慧さん=麻生健撮影 ... 印刷 メール 〈時の回廊〉鎌田慧「自動車絶望工場」 夢も希望も奪い去る労働 鎌田慧さん=麻生健撮影 1972年秋から6カ月間、愛知県豊田市にあるトヨタ自動車工場で期間工として働いた。当時、34歳。その体験を基に書いたのが『自動車絶望工場』だ。そこには合理化を進める企業と疎外される労働者の姿があった。若者たちの「夢」は日々、「絶望」へと変わっていった。40年たった現在も、その構造は変わっていない。 ◇ 青森県六ケ所村について書いた記事を読んだ見ず知らずの農民から寄せられた手紙が、トヨタの工場で期間工として、働くきっかけになりました。手紙の主は青森からホンダの工場に出稼ぎに来ていました。その彼と会った時に「どこの自動車工場が一番、きついのか」と尋ねたら「トヨタだ」と答えたんです。労働の合理化に興味を持っていて、どういうふうにきついのかを知りたかった。それで一番きついトヨタの工場で働いてみようと