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asahi.com(朝日新聞社):出会いの広場、石敷き溝 明日香村・飛鳥寺西方遺跡 - 文化
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asahi.com(朝日新聞社):出会いの広場、石敷き溝 明日香村・飛鳥寺西方遺跡 - 文化
印刷 「槻の木の広場」の南端の可能性がある溝の跡=24日、奈良県明日香村、伊藤恵里奈撮影飛鳥寺西方... 印刷 「槻の木の広場」の南端の可能性がある溝の跡=24日、奈良県明日香村、伊藤恵里奈撮影飛鳥寺西方遺跡 奈良県明日香村の飛鳥寺西方(せいほう)遺跡で、飛鳥時代(7世紀後半ごろ)の石組み溝が見つかった、と村教委が24日発表した。飛鳥寺の西側には、大化改新の立役者、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=後の天智天皇)と藤原鎌足(かまたり)が初めて出会った「槻(つき)の木の広場」があったとされる。溝は広場の南限だった可能性があり、過去の調査と合わせると広場の規模が把握できたとしている。 溝の遺構は飛鳥寺の南西約130メートルにあり、幅約90センチ、長さ約14メートルにわたって出土。中に約15センチ大の石が敷かれ、東西方向に延びていた。溝の北側は整地されて5〜10センチの小石が敷かれていたが、南側にはなく、溝が広場の南限を示す区切りだったとみられる。 同遺跡ではすでに、今回の溝のすぐ東側で南北方