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備中松山城 「天守の残る唯一の山城」はなぜ生き延びたのか - ショッピングコラム「日本の名城巡り」:朝日新聞デジタル
雲間に浮かぶ「天空の城」として兵庫県の竹田城が近年話題だが、厳密にいえば石垣のみが残る「城址」で... 雲間に浮かぶ「天空の城」として兵庫県の竹田城が近年話題だが、厳密にいえば石垣のみが残る「城址」であって城(建築物)は現存しない。ところが、江戸時代以前の天守閣が現存する城の中に、竹田城より高い「もうひとつの天空の城」がある。岡山県高梁(たかはし)市の臥牛(がぎゅう)山頂にそびえる備中松山城だ。江戸時代三百藩で山城を藩庁として幕末まで使い続けた藩は少なく、現存12天守の中で山城は備中松山城だけ。日本の築城史を知る上でも重要な存在で、岐阜県の美濃岩村城、奈良県の大和高取城と並んで日本三大山城に数え上げられている。 天守閣が現存する最高所の山城 中世から戦国時代にかけての城は純粋な軍事施設であったため、防衛に有利な山上に築かれることが多かった。それが太平の世となると領主の居館、政治経済の中心としての役割が重要になり、生活や交通に便利な平地に移っていく。そのため上杉謙信の春日山(かすがやま)城、浅
2015/08/11 リンク