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用宗の民間徴用船に光を 元漁師「第5清寿丸」を調査 静岡|静岡新聞アットエス
徴用中の「第5清寿丸」で撮られた集合写真。軍人と用宗の漁師が一緒に乗り込んだ。1942年2月、釧... 徴用中の「第5清寿丸」で撮られた集合写真。軍人と用宗の漁師が一緒に乗り込んだ。1942年2月、釧路で撮影(竹内さん提供) 元漁師の竹内貞雄さん(83)=静岡市駿河区=が、戦時中に用宗漁港から海軍に徴用され、戦後もカツオ・マグロ漁船として活躍した「第5清寿丸」(155トン)を調べている。地元では最も大きい船の一隻で目立っていたといい、「かつての用宗のシンボルを知って」と話す。 研究結果は今秋の地区の文化祭で展示することも検討中。竹内さんの叔父が徴用中の第5清寿丸に乗船し、竹内さん自身も終戦後の1947年4月から約5年間、漁師として乗ったことがある。 竹内さんによると、第5清寿丸は36年建造の鉄製。41年に徴用された。42年4月の本土初空襲などの際にも哨戒活動に参加していた。 民間徴用船は軽装で、攻撃を受け沈没する船も多かった。用宗漁港からは10隻程度が徴用され、無事戻ったのは第5清寿丸
2016/08/31 リンク