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<止まった刻 検証・大川小事故>第1部 葛藤(1)裏山へ避難 食い違う証言 | 河北新報オンラインニュース
東日本大震災の津波で児童74人が死亡・行方不明、教職員10人が死亡した石巻市大川小。背後に裏山が... 東日本大震災の津波で児童74人が死亡・行方不明、教職員10人が死亡した石巻市大川小。背後に裏山が広がる=2017年12月15日、宮城県石巻市釜谷 東日本大震災の津波で全校児童108人中、70人が死亡、4人が行方不明となり、児童を保護していた教職員10人が亡くなった宮城県石巻市大川小。戦後最悪の学校管理下の事故を巡る仙台高裁判決が今春にも言い渡される。あの時、大川小で何があったのか-。7年近くたつ今、当時の子どもたちや関係者が重い口を開き始めた。第1部は当事者の証言などから、学校にいた教職員11人中、唯一助かった当時教務主任の男性教諭(56)の「3.11」を追う。(大川小事故取材班) ◎教務主任の3.11 昨年12月下旬、取材班は学校の南側にあるダルマツ山、通称・裏山に登った。教務主任が津波にのまれ、駆け上がったという斜面に取り付く。 奇跡的に生き残った児童4人の1人、当時5年の只野哲也さん
2018/01/12 リンク