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貴布祢神社
江戸時代、砂津川にかかる門司口橋を渡ったところに門司口門がありました。小倉城郭の門の一つで、この... 江戸時代、砂津川にかかる門司口橋を渡ったところに門司口門がありました。小倉城郭の門の一つで、この門の前の道は大里方面に通じる九州諸大名の参勤交代の道(門司往還)でした。 往還に沿った長浜は、江戸時代上方への小早舟の船頭や漁師の町で、明治時代には格子のはまった家が並んでいました。また、この街道から北側は遠浅の浜辺で、漁船が繋がれていました。 万葉集の歌碑 小倉から門司の大里にかけての海岸は、「企救の長浜」または「企救の高浜」と呼ばれていました。 この長い海岸線には白砂と美しい根上がり松が群生して、遠く万葉の昔から大宰府に往来する貴人や防人(さきもり)たちの心を慰めたものです。この「企救の長浜」、「企救の高浜」を詠んだ歌が万葉集に二首出ています。 貴布祢神社境内にはそのうちの一首の歌碑があります。 貴布祢神社の御祭神は高淤加美神、闇淤加美神、上筒之男神、中筒之男神、事代主神、綿津見神、相殿に蛭
2020/10/19 リンク