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「心情」から語る靖国論(2) / SAFETY JAPAN [日下公人氏] / 日経BP社
儒教の言葉でなければ中韓には通じない この儒教の世界には絶対に「許し」がない。それが中国の政治の世... 儒教の言葉でなければ中韓には通じない この儒教の世界には絶対に「許し」がない。それが中国の政治の世界の論理である。だから、小泉首相が靖国神社に参拝するということはA級戦犯を許しておるのか、となる。 小泉首相が「平和を祈りに行く」と言っても、中国には通じない。僕は、中国に通じさせる必要はない、黙って無視すればいいと思っているが、どうしても通じさせたければ、儒教の言葉で言わなければ通じない。 こんな簡単なことなのに、中曽根元首相のころからもめている。相手は儒教で、それも朱子学で、朱子学では前の政権をよく言うことはあり得ない。 その考え方が韓国にも入っているから「和解しよう」とか「理解し合おう」とか「許そう」とか、「これで帳消し」とか「お金を払ったから終わり」とか、そんなことは中国や韓国から見れば全部、寝言である。儒教的でない。 それなのに日本の政治家は、「孔子、孟子は、僕も知
2006/09/08 リンク