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伊勢俊彦(1999)「書評 道徳はすべての人のために、だがこの私はこの私でしかなく─『理由と人格』を読む─」
*『理由と人格』デレク・パーフィット著、森村進訳、勁草書房、1998 私、そして私とともに現在生きてい... *『理由と人格』デレク・パーフィット著、森村進訳、勁草書房、1998 私、そして私とともに現在生きている人々がこうして存在するのは、過去の世代の人々が選択し、行なってきたことの結果である。そうした選択や行為の中には、称賛に値するものもあれば、非難に値するものもある。しかし、これらの非難に値する選択や行為をも、過去の世代の人々がなさなかったとしたなら、私も、現在生きている他の人々も存在しなかっただろう。たとえば、現在〇歳のある子供の父母が出会うことは、民主化と経済成長がもたらした教育の大衆化、とくに女性の大学進学率の向上なしには、あり得なかったことかもしれない。ところが、その子供の祖父母は、戦争の結果である彼らの世代の男性の人口の減少がなければ、出会うことがなかったかもしれない。このようにして、過去の世代の人々の行為がなければ、その人は存在していないだろうというストーリーを、各人について語る
2008/06/30 リンク