エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
白金の歴史 | 白金一丁目東部北地区市街地再開発組合
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
白金の歴史 | 白金一丁目東部北地区市街地再開発組合
白金の名前の由来 応永年間にこの地を開いた「柳下上総介」氏が、大量の銀(読みはシロカネ)を所有して... 白金の名前の由来 応永年間にこの地を開いた「柳下上総介」氏が、大量の銀(読みはシロカネ)を所有していたことから、「銀長者→白金長者」と呼ばれ、"白金"がそのまま地名になったとされています。 銀の読みと同様に町名も、しろかねと濁らないのが正式で、『小田原衆所領役帳』では"白銀"と記されていましたが、読みはやはり"しろかね"だったようです。 江戸時代は、豊島郡と荏原郡の境界線上にあったこの白金村は、区画が定まらず入会地(共同耕作地)とされました。 明治に入り、東京府へ編入され、武家地跡に白金下三光町、白金上三光町、芝白金丹波町などが起立しました。 明治11年(1878年)に一旦芝区に所属しますが、白金志田町・芝白金丹波町以外は荏原郡へ所属替えとなり、13年後、再び芝区に編入され、芝白金今里町、東名光(ひがしなこう)、西名光(にしなこう)、松久保、雷神下などをあわせて芝白金三光町となり、昭和22