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歴史と沿革 - 和歌山県立耐久高等学校
昭和23年 (1948年) 学制改革により、県立有田高等女学校と統合したが、耐久の名称は受け継がれ... 昭和23年 (1948年) 学制改革により、県立有田高等女学校と統合したが、耐久の名称は受け継がれ た。終戦後視察に訪れた進駐軍の将校が、ナイアガラの滝を前にしている創始 者・濱口梧陵の肖像画をみて感動し、校名がそのまま残ったという秘話がある。 校章の由来 みかんの里有田にちなみ、橘の葉と「高」をあしらったもので、生徒、保護者、教職員から広く募集した中から、生徒である松井哲二氏(耐久高校第1期生)の作品が選ばれたものです。 (昭和23年6月) 沿革概略 嘉永5(1852)年 濱口梧陵らが広村に稽古場を創設、のちに耐久舎と命名明治25(1892)年3月耐久学舎と改称、普通教育開始 明治37(1904)年4月「真・美・健」の三綱領を定める明治41(1908)年1月中学校令により私立耐久中学校と改称 大正8(1919)年5月 有田郡立高等女学校開校大正9(1920)年4月 私立耐久中学校を県立に
2015/12/14 リンク