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武家家伝_小国氏
小国氏は中世越後の豪族で、清和源氏から出た。すなわち源頼政の子である頼連(頼継)が鎌倉時代の初期... 小国氏は中世越後の豪族で、清和源氏から出た。すなわち源頼政の子である頼連(頼継)が鎌倉時代の初期に越後国国小国保の地頭となって、小国氏を称したことに始まる。頼連は無双の精兵として知られた強者であった。『吾妻鏡』によれば、「建暦二年正月十一日の弓始めに、射手十人のうち先ず小国頼継が召され。当日弓を帯びていいので、諸国から進納された強弓を与えられた、そして十五度射たのに毎回弦が切れた。射術も巧みで、将軍実朝は感心して、当座の褒美として越前稲津保地頭職を与えたた」とある。 『吾妻鏡』には続いて、承久三年の承久の乱に際して、北条朝時が北陸道大将として進発したとき、小国頼連もこの軍に参加したとある。朝時は越後国府で越後の御家人を糾合した。頼連はこのとき小国保から出陣合流したものであろう。 越後は関東の背後をつく位置にあるため「関東御分国」といわれるように、幕府の知行国となり、剛勇の御家人が配された。