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怨霊の登場
先ほど怨霊の発生条件を、この世に怨みを残して死んでいった人と書きました。一般的には、桓武天皇に無... 先ほど怨霊の発生条件を、この世に怨みを残して死んでいった人と書きました。一般的には、桓武天皇に無実の罪を着せられて憤死した弟の早良皇子(さわらおうじ 750?~785)が、この条件では最初の怨霊とされています。しかし当時の記録にはなくとも、後世の記録・文書には怨霊になったと書かれたものもあるのです。一例を挙げれば天武天皇の子、大津皇子(663~686)です。 天武天皇は、兄とされる天智天皇の四人の皇女(大田、鵜野、大江、新田部)を妻にしており、それぞれの皇女には天武の後を継げる子が何人も生まれていました。 686年天武が死ぬと、皇位を継ぐ最有力候補は大田が生んだ大津皇子でした。ところが大田の妹の鵜野は、自分が生んだ草壁皇子(662~689)を天皇にすべく陰謀を巡らし、大津に謀反の罪を着せて殺してしまうのです。鵜野にとって大津は血のつながった甥です。しかし草壁は、天武の喪が明けないうちに急死
2017/08/19 リンク